【”女子力”というよく分からない概念に囚われすぎ】キラキラ女子を目指すのもいいけど個性がなきゃ

美佳です。

スタバで何やらイチゴ過ぎる飲み物(ストロベリーベリーマッチフラペチーノ)が出たらしいですね。普段スタバに行ってもフラペチーノは飲みませんが、イチゴ好きだから飲んでみようかな。



「イチゴ過ぎる」≒はなはだしくイチゴ♡

※注:通常「甚だしい」は、良くない物事に使われることが多いそうです。



「甚だしい」で一つ思い出したので書き残しておきます。

銀座のクラブで働いている時、8つ上の先輩が教えてくれた話なのですが、すごく衝撃的で…。未だに美佳の記憶に残っています。


先輩、銀座に来る前は、新宿で働いてたらしいのですが、その店で一緒に働いていた仲のいい子が、美人にもかかわらず「もっと綺麗にならなきゃ…」と、どこか強迫観念にとりつかれたような整形魔だったそう。


当時その美人さんは24歳。

歳をとるのが心底嫌だったようで、口癖が「もう年を取りたくない」「来年25歳だ。いやだ…。時間が止まってほしい」と、やや狂気じみた感じ。


老けを防止するかのように、整形に莫大なお金をかけ「美人」を保っていたそうです。


整形をすれば綺麗にはなるけれど、時間を止めることまではできません…。

歳は着実に取るのです。



歳を重ねることにいよいよ耐えられなくなってきたのか、精神が崩壊していき、その美人さん、最後は新宿の自宅マンションから飛び降り自殺したそう。



綺麗になろうと努力するのはすごく素敵なのですが、精神を崩壊させるほど甚だしく追求するのは、本末転倒というかなんというか……。



先輩に「整形をすれば見た目は変わるけど、人格までは変わらない。だから整形はおすすめしない。自分らしく生きたいのなら個性を磨きなさい」。

と大事な言葉をいただきました。




女性の中にはモテたいのか、ただ自分に自信をつけたいのか、やたら「女子力向上」「自分磨き」という、よく分からないゆるふわな概念に囚われ、キラキラ女子になろうとする人もいますよね。


エステに行って、料理教室通って、オンラインの英会話を受けて、週末はセミナーからのお茶会……などなど、日々努力(?)をする女性もいますが、正直、こう言うキラキラ系も一種の病気だと思うのです…。


料理教室に通って自宅でスクールを開けるほど極める!

海外でバリバリ仕事するために英語を極める!

のならいいですよ。夢に向かって努力してる姿はすごくかっこ良いし輝いてます。


けど、キラキラ女子になりたいだけの大半は、極めるのではなくなんとなくやって、そこそこ上達するくらい、の中途半端なものじゃないですか?


趣味程度で楽しむのならいいですが、趣味程度で自分に磨きがかかったと思うのは大間違いですからね?


磨きがかかっているという「勘違い」を発症してますよ。



そんな本気で極めようとしてない姿なんて、別にキラキラなんてしてないですし、傍から見たら「楽しそうだなー」くらいです。


向上しようとする意識は大事だけど、趣味程度で自慢げに語るな!


本人的には、いろんなことにチャレンジをして個性を磨いているつもりなのかもしれませんが、極めなきゃ個性でもなんでもないです。他の人と同じ!



美佳的には、巷にあふれるキラキラ女子の大半が「女子力向上」「自分磨き」と、いろんなぬるま湯に浸かって遊んでいるだけにしか見えませんもん。


別に習い事がダメと言っているわけではありません。

興味を持って何かにチャレンジするのは、自分の選択肢を広げるきっかけになるから良いと思うんです。


ただ、人の目を気にして、自分磨きと謳って、「とりあえず」何かに手をつけても身にならないということ。


モテたい、自信をつけたいのなら女子力向上とか、よく分からないものにすがるのではなく(先輩の受け売りにはなりますが、)個性を磨いたらどうでしょう?



オンリーワンになれということ。


「No. 1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」という曲もありますよね。


けど

世の中、生き残れるのは何かを極めたNo. 1か、個性が飛び抜け、代えのきかない存在になれたOnly oneだけですからね。


本気で輝いているのはこの2つかと。


キラキラしてる人は自分で光放つのではなく、人から光を当てられて輝いてるんです。


輝きたいなら努力して個性を磨くなりして光を当てられる人になるしかないのでは?



「甚だしい」は微妙だけど「極める」って大事だと思う。



(話がめっちゃずれた気がする…ww)